結婚や出産を経験して、お互いの見えなかった部分が
見えたりしますよね!
夫は仕事で主張が多く不在
家庭の事はわたし任せ。
息子の反抗期のときの大変さも
夫は知らなかったと思います。
夫が働いているおかげで
生活が成り立っている事は十分に分かっていました。
でも、不在の多い夫と、わたし達の溝は深まるばかりでした。
仕事と家事との両立。
2番目の息子の学校の事。
わたし自身も心にゆとりが無かった。
夫に優しい言葉をかけてあげれなかった。
すべてから現実逃避していたかった。
夫と息子たちの溝がこれ以上深くなってはいけない
との想いや、長い結婚生活の中での
色んな事の積み重ねから
私から別居の話を切り出しました。
上の息子が社会人で2番目の息子は高校生。
4人で話しあい、別居をする事にしました。
(夫は納得していなかったと思います)
別居はしても、必ず1ヶ月に1回。息子たちは
夫に会っていました。
年末には、おせち料理を作って届けたり、夫と息子の3人で外食
にも出かけたり。
この距離間が良いのではと思うようになりました。
いずれ老後はお互いが近くで生活をし
支え合えれば良いのではと、私は考えていました。
(後で知ったのですが、夫は1人での海外生活を考えていた様です)
別居から約2年が過ぎた頃に
私の乳がんが見つかったのです。
主治医から家族への説明を
息子たちだけで聞かせるのは不安だった。
身勝手だとは分かっていたが、夫に電話で病名を伝えた。
電話でどんな話をしたかは、殆ど覚えていないが
夫が「生活はどうするの」「やっていけるの」
その言葉だけは鮮明に覚えている。
私はなんと返事をしたか…
覚えていない。
主治医からの説明は家族4人で聞き
説明のあと、待合室のソファーにそれぞれが離れて腰掛け
みんな無言。
私は看護師さんからの検査の説明を受けていた。
その時に2番目の息子が飲み物を買いにと
席を立った時。夫が「辛いね」と息子に声をかけてくれたと
後で知りました。
夫が「一緒に住もう」と言ってくれた。感謝の気持ちでいっぱいだった。
4人での生活が再スタートしました。
それと同時に私の抗がん剤治療も始まった。
2年前とは違う夫
夫が息子にかけた言葉も
以前の夫からは想像も出来なかった。
(言葉たらずで、不器用な夫)
別居を言い出した事への
心苦しさが少し軽くなった。
お互いに話し合う時間がなかったのか
話そうとしなかったのか
いや、今だからこそお互いに話せる
そんな気がする
お互い、色々な経験を積んだからこそ話しあえる
わたし自身は、距離を置くことで新しい自分
夫のいい部分を見つけることが出来たと思います。
それでは、けせらせら〜